5.30.2010


のんべんだらりと生きてきた。これまでずっと。
危機感や焦燥感を感じた事がないわけではないが
いつもどこかで他人事のような
外野から自分を覗いている別の自分がいる。
良くも悪くも、それが私の処世術であり、
ストレスを回避する方法だと思い込み実践している。

父が危ないという連絡が母から入った。
父とは特別仲が悪いとかではないが、ドライな親子関係ではあった。
パニくるかな、私。
もう一人の私がちゃちゃをいれた。
悔しいからきちんと着替えて化粧もして自分で運転して病院へ向かった。
上ずり気味な声ながら、あちこち必要な連絡も落ち着いて済ませた。

その後の諸々もかなり正確に記憶している。

ただひとつ記憶でヘンなところがある。
無事手術を終えた父と対面した時のこと。
かけた言葉や風景も頭に残っていない。
ちょっとだけの残象を頼りに思い出そうとするが何も引っ張ってくることはできない。
その時だけは私のコピーロボットは全然使い物にならなかったようだ。

振り返ることができない言葉は本物なんだと思う。
コピーは本物には勝てないから現われようもなかったんだろう。

数日前に家から見た大きな虹。
私の心にも今、虹がかかっている。




5.23.2010

「し」


少し前の事、
すごい山奥のすごいシチュエーションですごい格好で
お魚釣りをした。

釣り上げた魚は針の貫通した顎から流血していて
その針を外してあげようと胴体をギュッと掴んだらキュッっと鳴いた。

釣り場のおじさんが囲炉裏で焼いてくれたものをその場で頂いた。

出口に石碑があった。
お魚の供養のためのものだ。

やたら神妙な面持ちで手を合わせていたchoco。
軽いレジャーにやってきたはずなのに、なにこの重い空気。
ご先祖様のお墓参りの時なんかよりもずっと重い。
むしろ4歳のchocoにとってはご先祖様のお墓参りのほうが
よっぽどレジャーだったかもね。

chocoに食べてもらえて喜んでるのだよ、
美味しいって言ってもらえるのがお魚さんの幸せなのだよ、
とってつけたような偽善なセリフを浴びせかけ、
なんとかchocoの笑顔を引き出そうと必死だった私。

血を流して、キュッと鳴いて、焼かれて、食べられて。
chocoにとって初めて出会うリアルな「し」だったのだ。
ガツンときて当たり前だ。

その時はうまく子供の心に響かせることができなくて
しばらくの間、もやもやしていた。

昨日の新聞に載っていた谷川俊太郎の詩。
何だかのシンポジウムで朗読したものらしい。
時事としてももちろん、私がchocoに響かせたかったこと、
ドンピシャだった。

絶対chocoに読ませようと思っていたのに
うっかり掃除に使って捨ててしまった。
ネットから拾えたのでここに記しておくから、

明日一緒に読もう。


しんでくれたうし 

しんでくれた ぼくのために そんでハンバーグになった ありがとううし
ほんとはね、ぶたもしんでくれてる にわとりもそれから、
いわしやさんまやさけやあさりや いっぱいしんでくれてる
ぼくはしんでやれない だれもぼくをたべないから それに、
もししんだらおかあさんがなく おとうさんがなく おばあちゃんも いもうとも
だからぼくはいきる
うしのぶん ぶたのぶん しんでくれたいきもののぶん ぜんぶ

                  谷川 俊太郎

5.15.2010

あの子は元気かな


雨の朝
いよいよかたつむりクンとバイバイ。


晴れた午後、
再びハンターとなる。

1か月近く寝食を共にしたかたつむりクンは
数時間の間に完全に姿を消していた。
ハントする必要もなく家の前ですぐに別の子を見つけたけど
お持ち帰りするには至らず。
コネコネしてなにやら熟考したのち
ポイした。

5.14.2010

万の華


手作り万華鏡ビューいろいろ。
ビーズだけじゃなくて、いろんな物がはいっているから
思いもよらない模様ができておもしろい。
そして、二度と同じ模様には出会えない。
万華鏡とはよくいったもんだ。

5.06.2010

旅のつれづれ









                          暑い。